創価学会員三世の苦しみ

父方の祖父母が創価学会員の地区リーダーだったが孫に信仰を強制することはなかった。父親も2世であるため時々会合に顔を出すくらいはしていたがそこまで熱心な信者ではなかった。

しかし母親が結婚を機に熱心な信者となってしまい、小学校の頃は夕飯より会合優先、子供がクラスで浮いていようが地域の祭りには参加させず創価の集まりを優先させるといった具合だった。

生まれた時から自動的に創価学会3世になった子供は熱心な信者になるか強烈なアンチになることが多い。
自分の場合は後者だった。


母方の祖父母の家には元々居間に仏壇(宗派はわからないけど七福神の掛け軸と般若心経があった)があったのに母親はそれを捨てて創価の仏壇に置き換えようとしていた。

元々あった仏壇を捨てるのはさすがに…と祖父母がかなり強く抵抗して古い仏壇はかろうじてゴミになるのを免れたものの寝室の隅に移動されていた。

当時私は小学生だったけど子供心に母親無茶苦茶するなあと思っていた。

結局祖父母とも亡くなった時は創価葬にされて何だかやるせない気持ちになった。


大学を卒業して数年後、結婚を考えていた彼氏を母親に紹介したら母親は初対面の彼氏相手に創価の勧誘をしてミニ本尊とミニ仏壇を売りつけようとしたので大喧嘩になった。
成人してから母親に対して泣いて物を投げつけるくらい本気で怒ったのはこの時だけだ。

大学生の思い出

大学生になってやっと彼氏ができた。
一人暮らしを始めてからアトピーも改善し太りぎみだった体型も標準に戻った。

盆正月は実家に帰っていたんだけど居心地が悪くて帰省中も度々彼氏に会っていた。
帰省中のある時デートから実家に帰ってきたとたんに「精液臭い」と言われた。

下ネタ厳禁でおぼっちゃまくんもバカ殿もトレンディドラマも禁止してた母親がこういうセリフを吐いたのが本当に衝撃的だった。

今だにこの一言が一番傷ついてる。

中高生の思い出

中学生になるとアトピーは悪化した。
中1の夏の日プールを休ませて欲しいと母親に訴えたが却下された。
先生にも「プールの水がしみて痛いので休ませて下さい」と言ったけど「連絡帳に親の了承がないからズル休みでしょ」と言われて体育の成績を1にされた。

この女体育教師は今も恨んでるくらい大嫌い。

高校も大学も「進学は国公立しか認めない。私立に行きたかったら自分で稼げ。」と言われた。
高校は地元県立のそこそこの進学校、大学は成績と経済状況次第で入学金&授業料を免除できる国立になんとか進学した。
母親はバリバリの創価学会員だったので「娘の合格は池田センセーとご本尊のおかげ!功徳!」とふれまわっていた。
ピロウズの「Funny Bunny」とミスチルの「終わりなき旅」がその頃の自分のテーマソングだった。


https://youtu.be/f92VWkYl8CI

https://youtu.be/QCiERL2m3Ss

小学生の頃の思い出

小学生のある日、左腕が痛くて学校を休みたいと母親に訴えたが却下された。
せめて体育は休ませてと連絡帳にその旨を書いて欲しいと言ったけどそれも「サボりたいだけでしょ」と却下。
その日先生に腕が痛いと言って病院に連れていってもらったら腕は骨折していた。
母親が迎えに来て早退した後「何で朝の時点でもっと真剣に言わなかったの!」と叱られた。
昔から躾のためではなく母親が恥をかいたから叱られたことが多かった気がする。


小学生6年生のころからお尻から太ももにかけてアトピーができた。
病院に連れてもらいたかったが
「チョコの食べ過ぎでしょw」
「太ったからじゃない?」
と自分の食生活のせいにされた。
4年生まではやせ型だったが高学年になるにつれ体重が標準より増えてきたことがコンプレックスだったのでこの言葉は堪えた。

アトピーができてから母親からは「布団が汚れるから掻くな!」としょっちゅう怒られていた。
一方で「感染するかもしれないから同じ便座に座れない」と自分用の使い捨て便座シートを購入し始めた。
アトピー性皮膚炎が感染するものではないことは当時うちの家族は誰も知らなかった。
母親は娘のアトピーを治すことより自分の生活に影響が出ないようにすることを優先していた。

幼少期の思い出

幼稚園生の時、帰宅後急に母親が怒り出して洗面所に貯めた水に顔を押し付けられた。
泣き叫んで抵抗したけど「顔つけできるまで毎日やるからな!」と言われた。

何事かと思ったら連絡帳に「プールの時間にクラスで顔つけできないのはきゃとちゃん(私)だけです」みたいな事が書かれてたらしい。

今思うとこんなこと書く保育士もクズだなあと思う。


向かいの家に住んでいたタカシくん(仮名)という男の子が私と同級生で何かにつけて母親からよく比べられていた。

「タカシくんは自転車乗れるのに何であんたは乗れないの」
「タカシくんは走るのも字覚えるのも早いのにきゃとは遅いねえ」

確かにタカシくんは体格も良くガキ大将っぽい感じだったんだけど、彼は4月生まれで私は11月生まれなので月齢差もあったと思う。

出産予定日から1ヶ月遅れて低体重児として生まれた私は9歳くらいまで身長も体重も標準の数値に届かず、食べてもすぐに嘔吐してしまうことが多かった。

自家中毒症と診断されていたが、今となってはそれが体質によるものなのかストレスによるものなのかわからない。


この頃はバブル時代だったせいか生家の近所では
「◯◯さん家が増築して餅まきまでしたからうちはリフォームする」
「△△さん家が桜を植えたからうちは松を植える」
「✕✕さん家が大型犬を飼い始めたからうちはニシキヘビを飼う」
みたいな異常な見栄の張り合いだらけで、子供達もみんな私立の学校に通っていた。

うちは「お金がないから」と上記のような見栄の張り合いはしてなかったんだけど、母親が世間体を気にして娘の発育状況を他の子と比べがちだったのはこういう環境も要因だったのかなと思う。


3歳下の弟は父親似で一重の私とは反対に、母親似の目がパッチリした二重で母親に溺愛されていた。

幼少期の弟の写真は笑顔が多いが私の写真はブスっとした顔つきのものが多い。

今も写真を撮るのは好きだけど撮られるのは嫌いだ。

弟は20年前に専門学校を中退した後今に至るまでずっと実家に引きこもりニート生活をしている。

洞窟おじさんと仏教的な生き方

お題「最近涙したこと」

 

2月19日にたまたまNHKで見かけたドラマ「洞窟おじさん」があまりにも心打たれる内容だったので、ここに記しておきたい。

 

 

 

www4.nhk.or.jp

 

「洞窟おじさん」は、リンクにもあるように13歳で家を出て山に篭り、俗世から離れながらも生病老死・愛別離苦を体験し自分の生き方を見つける物語である。

親の虐待、愛犬との死別、世話好きの老夫婦、友人の裏切り、初恋、理不尽な上司、支えてくれる職員…洞窟おじさんはさまざまな出会いと別れを繰り返して「人間とは何か」という根源的な疑問を私たちに問いかけてくる。

 その生き様は実に仏教的・哲学的で、私が個人的に特に印象に残った場面ベスト3を挙げてみたい。

 

「誰が運んでも同じだ」と荷物を運ぶ場面

自分より下の存在を必死で探し、その存在を見下すことでアイデンティティを保とうとする人間は大勢いる。そして彼らは周りの者にその見下し行為を見せ付けて自分が上であるように暗示をかけて安心している。多くの人はそれを目の当たりにしても、自分がスケープゴートになるのを恐れてなかなか手を差し伸べようとはしない。

インドにはカースト制度という強固な身分制度がある。基本バラモンクシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの4つに分けられているが、そのカーストからも外れた不可触民という身分の者は人間扱いされず、屠畜業や糞尿汚物処理の仕事に携わっていた。
ガンジーは自らそういった不可触民に混じって仕事をしていた。

 

障がい者施設で働く人々は健常者(この言葉はなるべく使いたくないのだが)から見下されがちだ。金儲けのためやコネで働いているような人、自分のことで精一杯な人は他に楽しみが見つからないからかストレスのはけ口を自分より弱い者へぶつける。洞窟おじさんの中に登場する若社長もまた従業員を人間扱いしない人間だった。
自分が見下せる存在であると認識した太った青年に、熱があるにもかかわらず重い荷物を運ばせようと怒号を浴びせる。
洞窟おじさんは若社長に怒りをぶつけるわけでも、他の人々のように見ないフリをするわけでもなく「誰が運んでも同じだ」と言ってただ荷物を運ぶ。
その姿がガンジーの生き方に重なるように見えた。

f:id:sp284:20170220230306j:plain

 


施設長が施設をつくるきっかけを問われる場面

洞窟おじさんの社会復帰のため尽力した施設の施設長は、ある日従業員の軽部さんになぜ洞窟おじさんを引き取ったのか問われる。幼い頃お金持ちの友達の家でかくれんぼをしていた施設長は、庭にあった座敷牢に隔離された精神障害の子供を見つける。「身内の恥だ」とつながれた子を見て「弱い人たちのために生きよう」と決めたのだと語る。


経済的優位に立つためでもなく社会的地位のためでもなく、ただ虐げられている人たちに寄り添いたい。このような施設長の考え方は宮沢賢治が描いた大乗仏教、あるいは遠藤周作が描いた汎世界的なキリスト教の教えそのものであると感じた。

f:id:sp284:20170220233325j:plain

 

 

ブルーベリージャムを販売する場面

終盤、洞窟おじさんは職員の軽部さんの好物であるブルーベリーを栽培し始め、一年後には収穫されたブルーベリーでジャムを作り販売する。おじさんはこれまで生きるために山菜や植物を獲ってきたが、このジャムは全然別物だという。

このブルーベリーは

自分で食うために育てた訳でも金稼ごうと思って育てた訳でもねえんだ

人を喜ばせようと思って作ったんだよ

これ買った人がおいしいって言ったら それ最高なんだ

 

大して腹にもたまんねえし金にもなんねえけど

何でうれしいのかも 分かんねえけど

何かうれしいんだよ

 

f:id:sp284:20170221004456j:plain

 

 

軽部さんにジャムを作った動機についてただ「人を喜ばせようと思って作った」と語るおじさん。嬉しそうに語るその姿はマズローの欲求5段階を超越した自己超越を体現しているようであった。

 自己実現理論 - Wikipedia

 

f:id:sp284:20170221010254j:plain

 

ブルーベリーの花言葉は「実りある人生」、エンディングの写真に写った洞窟おじさんは仙人のように穏やかな良い顔をしていた。

食べるためでもお金のためでもなく「人のために役立ちたい」と心から思えることが真の労働であり、人生の喜びであると改めて教えられた素晴らしいドラマだった。