幼少期の思い出

幼稚園生の時、帰宅後急に母親が怒り出して洗面所に貯めた水に顔を押し付けられた。
泣き叫んで抵抗したけど「顔つけできるまで毎日やるからな!」と言われた。

何事かと思ったら連絡帳に「プールの時間にクラスで顔つけできないのはきゃとちゃん(私)だけです」みたいな事が書かれてたらしい。

今思うとこんなこと書く保育士もクズだなあと思う。


向かいの家に住んでいたタカシくん(仮名)という男の子が私と同級生で何かにつけて母親からよく比べられていた。

「タカシくんは自転車乗れるのに何であんたは乗れないの」
「タカシくんは走るのも字覚えるのも早いのにきゃとは遅いねえ」

確かにタカシくんは体格も良くガキ大将っぽい感じだったんだけど、彼は4月生まれで私は11月生まれなので月齢差もあったと思う。

出産予定日から1ヶ月遅れて低体重児として生まれた私は9歳くらいまで身長も体重も標準の数値に届かず、食べてもすぐに嘔吐してしまうことが多かった。

自家中毒症と診断されていたが、今となってはそれが体質によるものなのかストレスによるものなのかわからない。


この頃はバブル時代だったせいか生家の近所では
「◯◯さん家が増築して餅まきまでしたからうちはリフォームする」
「△△さん家が桜を植えたからうちは松を植える」
「✕✕さん家が大型犬を飼い始めたからうちはニシキヘビを飼う」
みたいな異常な見栄の張り合いだらけで、子供達もみんな私立の学校に通っていた。

うちは「お金がないから」と上記のような見栄の張り合いはしてなかったんだけど、母親が世間体を気にして娘の発育状況を他の子と比べがちだったのはこういう環境も要因だったのかなと思う。


3歳下の弟は父親似で一重の私とは反対に、母親似の目がパッチリした二重で母親に溺愛されていた。

幼少期の弟の写真は笑顔が多いが私の写真はブスっとした顔つきのものが多い。

今も写真を撮るのは好きだけど撮られるのは嫌いだ。

弟は20年前に専門学校を中退した後今に至るまでずっと実家に引きこもりニート生活をしている。